中1で英検2級に一発合格!「英語が得意!」が出来上がった経緯をお話します
この記事はどちらかというと、これから子育てを本格化させるパパママに向けかもしれません。
もちろん今受験に向けて学習を進めている学生さんも、それ以外のちょっと興味があって覗いてみた方でも大歓迎です‼️
「こんなやつもいるんだな〜」というふうに思ってもらえると思います。
ちなみにわたしのプロフィールはこんな感じです🐤
両親のスペック
まずは私の両親のスペックを簡単に紹介します。
父:医師。 小学生時に脱落式(成績が悪いと辞めさせられる)の英語塾に通っていた経験がある。 母:専業主婦。 某私立大学文学部英文学科卒。中学英語教員免許あり。
背景として、両親からある程度英語を教えてもらえる基盤はあったように思います。
ただ母については、教員免許はあるものの教壇に立った経験はなく、実生活においても特に英語を使う場面はありませんでした。
私は子供のころからよく宿題を母にみてもらっていたのですが、後から話を聞くと、どうやら私の勉強の面倒を見ながら徐々に思い出していったそうです。
なので子育て中のママが今英語に自信がなくても大丈夫、お子さんと一緒にレベルアップすれば問題ないと私は考えます。
正直いってわたしの英語力のピークは15年以上前の大学受験直前です😅
かなり忘れているので、将来ムスコの勉強みながらゆっくり思い出します☺️
未就園児時代
NHK教育「英語であそぼ」のVHSとDisney classicsのVHSを見るのが大好きで、何度も繰り返し見ていました。
「英語であそぼ」はにこにこぷん!とコラボレーションした内容があり、ジャックと豆の木の世界に主人公の3人(じゃじゃまる・ぴっころ・ぽろり)が迷い込んで、ぽろりにそっくりのBORORIに出会うお話だったと記憶しています。
今の「えいごであそぼ」もそのうち「ガラピコぷ〜」とコラボしないかなぁ👀
そしたら速攻で買うのに…
他にはDisney classicsの歌も好きで、よく車移動の際にはカセットテープで聴いていました。
曲順リストは母の手書きでした
懐かしいなぁ〜
このころは「日本語だから」「英語だから」と区別せずにいろいろなことを受け入れていたように思います。
特に強制されたりもせず、自分から進んで英語の雰囲気やリズムに触れていました。
幼稚園時代
幼稚園児のころから父親からアルファベットと簡単な英単語を教えられていたのですが、しばらく勉強していなかったらすべて忘れ去ってしまってこっぴどく怒られました。
その頃から英語の勉強において父親に厳しく指導され何度も泣かされていました。
普段は娘に激甘なのに、英語の時だけは本当に厳しかったです…
悔しい思いをさせてガチで泣かされるので本当に嫌でした😞
英語の歌もどうやって覚えたのかは定かではありませんが、積極的に聴いて歌っていて
- twinkle twinkle little star
- Under the spreading chestnut tree など
はよく歌っていました。
幼稚園年長のときに父の地元に引っ越すのですが、転園先の幼稚園の歓迎会でtwinkle twinkle little starを披露しています(経緯は不明です)。
ホールで全園児の前でスタントマイクでアカペラ独唱でした。
緊張感はまるで罰ゲーム級☠️笑
小学校時代
幼稚園年長〜小学校4年生までは隣町の英会話教室に通っていました。
日本人の先生がやっている、英語の歌を歌ったり、ゲームをしたり、簡単な英会話をする程度のよくあるタイプの英会話教室でした。
わざわざ隣町まで通っていたのは、住んでいた町が田舎すぎて英会話塾すらなかったからです😅
隣町のその教室にいくために片道30分かかるのですが、その行き帰りの車の中でよく母と
今日はこんなことを習ったよ〜
〇〇のときって△△って言うので合ってる〜?
など、何気ない会話のなかで勉強した内容の復習や応用を自然としていたように思います。
そして上達していく過程で、母も英会話の先生もうまく褒めてくれていたように思います。
学年が上がり、STEP児童英検(時代を感じますね)から始めて英検5級・4級・3級…とだんだんと私のレベルが上がるにつれて合うクラスがなくなってしまったことが理由でその英会話教室は辞めてしまいました。
同時期に、もともと中学受験を見据えて通っていた学習塾に英語の個別指導を追加して、さらに公文式の英語を開始します。
学習塾の個別指導は英語のスキル全般の向上のため、
公文式の英語は当時私に圧倒的に足りなかった「書く力」をつけるためでした。
個別指導
個別指導はTOEIC満点のおじさん先生とのワンツーマンでしたが、英字新聞を毎回読まされて苦痛で苦痛でしかたがありませんでした。
だって英語の世界を離れれば、世間にはさほど興味のないスーファミ大好きなただの小学生ですから😂😂
和訳したところで新聞の内容そのものに一切興味が持てなかったので、個別指導の時間は苦痛で苦痛でたまりませんでした😓
力がついた実感も湧きにくくて、中1くらいで辞めてしまったと思います。
公文式
英会話や英検で英語に対する理解力が上がっても、英作文の力となると全く話が変わってきます。
公文式の英語については、母の勧めでした。
正直始める前は
いやいや、別に公文でやらなくたってそのくらいできるよ…
簡単なところから始めないといけないなんてだるいわ〜
なんて思っていたのですが、いざ学習を始めてみると
え、私こんな簡単な文章でもケアレスミスしちゃうの?
全然書けてないじゃん…‼️😨
と愕然としたことを今でも覚えています。
私の母は私が「英語を理解できていても書く力が弱い」点をしっかり見透かしていました。
これには今でも本当に感謝しています✨
公文式の英語は、(少なくとも私が学習していた当時は)発音やリスニングにはあまり特化していない印象でしたが、
学習を継続していくことで、「書く力」は確実に向上しました。
のちに「英作文なら無双状態」の中学生・高校生になるのですが、公文式の英語がなかったら実現不可能でした。
中学から遠方の学校に通学することになり、それに伴い公文式は辞めてしまうのですが、約3年間でライティングのスキルが自分でもわかるほど飛躍的に向上したことは間違いありません。
メレンゲさん10歳、ついに父親の前で英語学習をしないと心に誓う
前述の父親から泣かされる英語指導は私が小学校に上がってからも続きました。
内容は
その動詞の過去形は?過去完了形は?副詞形は?
なんだそんなこともすぐに答えられないのか。
辞書引いて意味だけ調べて満足するんじゃない。
一度引いた単語は二度と引かなくていいように書かれていることは今全部覚えなさい。
Februaryのスペルは?
…遅い、もう一回!
…まだ遅い、もう一回!
…もっと早く、もう一回!
(早口言葉並に1秒以内で言えるまで延々と繰り返す…)
決して理不尽なことを言われたわけではないのですが、当時の私は内心
(そんなペースで寄り道してやってたらいつまでも終わらないよ〜😭)
(もう21時だよ早く寝たい〜😭)
としか思えませんでした。
でも反抗するとさらに指導が終わらなくなるので、大泣きしながら鼻水垂らしながら早く終わらせたい一心で父からの課題に必死で答えていました😭
一方母は、父の指導スタイルを否定も肯定もせずに、指導が終わった後に
よしよし頑張ったね〜☺️
うんとできるようになったね✨
ささ、早く寝よう🌙
と泣く私を褒めてなぐさめて、うまく気持ちを切り替えられるように促してくれました。
父の熱血指導のトリガーは、私がリビング学習をしているところを覗き込んで内容を確認してしまうことから始まっていたので
どうしてもこれ以上熱血指導は受けたくないと思ったメレンゲさんは、10歳の秋にとうとう父の前では一切の英語教材を開かない決意を固めたのでした。
その後中学生になっても、高校生になっても、父の前では英語の宿題も試験の答案も一度も広げたことはありません。
若干トラウマ級です…
この記事書きながら泣きそうになってます😭
中1で英検2級に合格した勉強過程のまとめ
父の指導はちょっと行き過ぎだったかもしれませんが、それ以外は特にこれといった大きな特徴はなかったと認識しています。
まとめると、
私が幼稚園・小学生時にしていた英語勉強の方法は
- 映像教材
- 英会話教室
- 父からの指導
- 母との会話での自然なアウトプット
- 個別指導塾
- 公文式
でした。そして私が「英語が得意!」となれた大事なポイントは
- 幼少時から英語に触れることを自ら楽しんでいた
- 英会話教室で習ったことをすぐに母と復習したり応用したりしていた
- 周囲から「できるね」と褒めてうまく伸ばしてもらえた
の三点です💡
特に2番目は、よく自己啓発本や勉強のハウツー本でも言われている「インプット・アウトプット」と概念に当てはまると思います。
別にパパママが実際に英語が得意でなくても大丈夫。
今日はどんなこと勉強したの〜?
そんなことも勉強したんだー💡頑張ったね!
そしたら00だったらどう言ったらいいのかな?一緒に考えてみようか!
と聞くだけで十分です。
私自身、今1歳のムスコが大きくなって英語学習を始めたらそのようにアプローチするつもりです。
みなさんの参考になれば幸いです☺️
それではまた🧁